サッカーワールドカップは惜しくも日本代表がベルギーに負けてしまいましたが、熱戦はまだまだ続きます。
しかし、日本がいないとなると、熱が冷めてしまって、夜中に起きて観戦となるとちょっと考えてしまいますが
次に見られるのは4年後なのでしっかり見ておかないと損しますよ~。
ネイマール率いるカナリア軍団(ブラジル)が安定した力で勝ち上がっています。
ベルーギーとの一選どちらが勝つか?あと約5時間後にその勝負が始まります。
さてそのブラジルの黄金時代をご存知の方も多いと思いますが、
ペレ、トスタン、ジャイルジーニョ、リベリーノ等のスーパースターを擁したセレソンは
1958・1962・1970とと3度頂点に立っています。その時に着用していたのが「ATHLETA」社のユニフォームでした。
その後、ブラジル本国ではアディダスやナイキの台頭によって経営難となり、
現在では日本法人の「株式会社アスレタ」が販売権を有し日本で企画、販売を行っています。
近年ではシューズを発表し、完成度の高いシリアスな製品になっていますので、選手層にもじわじわと指示を得始めています。
センバツ甲子園大会も終わり、プロ野球が開幕、メージャーリーグでは大谷選手が大活躍。
まさに熱きバトルの野球シーズン到来といった感がします。
センバツ大会では前評判通り大阪桐蔭高校が優勝し、我らが和歌山県代表の智辯和歌山が準優勝と大健闘!
強打、逆転の智弁の復活印象付ける内容でした。
智辯和歌山には串本町出身の平田選手、三重県南牟婁郡出身の久保選手が紀南地方からベンチ入りしており
特に平田選手は投打に大活躍でチームの勝利に貢献していました。
4月14日からは春季近畿地区高校野球大会和歌山県予選が始まりました。
この大会は、夏の選手権大会のシード校(4校)を決める重要な大会となりますので、
地元の近大新宮高校、串本高校、新宮高校、新翔高校にはシード入り目指して頑張っていただきたいと思います。
ところで、野球用品の話になりますが、センバツに出場している選手たちのアンダーシャツに注目すると、
昨年まではハイネックタイプが主流でしたが今年はクルーネックタイプ(丸首)に代わっていました。
もちろん、日米プロの選手たちも主流はクルーネックです。
ミズノ「バイオギアシリーズ」の今年のニューモデルは、従来品に比べて生地の伸び率が20%アップし、
締め付け感が少なくなったのでお客様からの評価も「動きやすくなった」と好評です。
ぜひお試しください。
昭和21年、和歌山県新宮市矢倉町(現:千穂)で【安達運動具店】は産声を上げました。
創業者は安達矩一(あだちくいち)52歳の時です。
(上の画像は創業した当時の店先、当時は「安達商店」という店名で営業しておりました。)
創業者はそれまで学校事務に携わり、傍らで剣道・軟式庭球(ソフトテニス)の指導を行っておりました。
特に剣道は最終的には八段の腕前で、新宮道場の建設においては尽力をさせていただいたと言う事です。
創業当時は現在のように売る物が簡単に手に入る時代ではなく、また資金も潤沢にあるわけではなく、
「棕櫚の箒」(シュロのホウキ)や「ノート」等を手作りして学校に行商をしながら、
スポーツ用品の注文も合わせていただくというような営業活動で
また、その時に自分のテニスラケットを持参し、生徒さんの指導をしていたようです。
最近では少なくなりましたが、
「ここのおじいちゃんに中学生の頃テニスを教えてもろたんやで」とおっしゃってくれる
年配のお客様が10年ほど前まではちょくちょくいらっしゃいました。
創業者が営業活動の移動に使用したのは自転車で、
2、30キロ離れた取引先まで自転車で移動していたそうです。
三重県熊野市紀和町に「風伝峠」という峠があります。
今ではその峠の下をトンネルが抜けて、峠の向こう側に行くのは容易になりましたが
昔は峠を越えないと行くことができず、創業者は自転車でその峠を越えていたそうです。
若い頃から剣道とテニスで鍛えた体と言えども50歳を過ぎた創業者にとって
真夏の炎天下にくねくねと続く長い坂道を登る事は精神的にも体力的にも厳しいものがあり、
汗と涙で頬が濡れたという話を母親から聞かされたことがあります。
峠の向こうで待ってくれているお客様のために、テニスや剣道の生徒さんたちのために、
人様の役に立つために「何が何でも行かなアカン」という念いが真心となり、
創業者の原動力になったのだと思います。
(上の画像の人物は創業者の若い頃の画像です)
創業者の「何が何でも人様の役に立つ事せなアカン」という念いは
私達が受け継がなければならない永遠不滅の念いです。
この念いが当社全体に沁みわたり、
スポーツする人々に最高のよろこびが得られるスポーツ品・サービス・情報を
提供することができるよう日々精進させていただきます。